http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070106/mng_____tokuho__000.shtml
落合洋司弁護士のブログからです。

自分の親はエリートと呼ばれる人でもなんでもなく、むしろ低所得者と呼ばれてしまうグループ
かと思われますが、そんな私でもプレッシャーはありますから、こういう家庭だと余計に
そうなのでしょうか。
「勉強も家族に教えてもらえるだろうし、勉強するだけの金もあるし、うらやましいな」
と私などは思ってしまいますが、自分の中の最低ライン(ハードル)が極端に高いと、それを越えられないときに立ち直るのが大変かもしれません。
大学の特定の学部に入れなかったからといっても、日々の暮らしで精一杯の家庭からみたら「ぜいたくな悩み」でしょう。
が、やはり周りの環境が別の価値を許してくれないような家庭に生まれると、なかなか大変ですね。

若干話は変わりますが、
司法試験受験生や法科大学院の学生は、高学歴層が多く(あたりまえか)、
家庭の所得水準や親の社会的地位の高い
人が多いと日々感じますが、そんな自分の家庭環境を「うちは普通」といってしまう人に、
ときどき違和感を感じることがあります。

「普通の」一部上場企業の中間管理職。
「普通の」弁護士。
「普通の」会社経営者。
「普通の」医師。

中小企業のヒラリーマン家庭からすれば、これらの人たちは決して「普通」ではなく、
所得層も社会的地位も高い人なのですが、これらの環境で育った人で私が接する人の多くは
その認識がありません。

「年収1000万」は、普通なのです。

彼らが低所得の人を馬鹿にしたりすることはないですが、要するにそういう人たちのことが
「見えてない」
ように思えてならないし、見る気もないように感じます。

社会的な余裕のなさなのか、その人個人の余裕のなさなのかはわかりませんが、
もう少し自分の環境を客観視して、もし恵まれているとするならば、
英国でいう
ノブレス・オブリージュ
の精神を持つべきなのではないかと思っております。

そんな私も、ロースクールに通えてるだけ恵まれた人間だと思いますので、
自分の反省の意味も込めて述べさせていただきます。